三島由紀夫の音楽観

言説

今回は、三島由紀夫の音楽観について紹介したいと思います。

三島由紀夫には、『音楽』というタイトルの小説もあります。

よく大型の楽器店に行くと、書籍のコーナーにこの小説が置いてありますが、この小説は音楽には直接的にあまり関係がありません。

本来置くべき本は、『小説家の休暇』だといつも思います。

『小説家の休暇』

これは、三島由紀夫が日記形式で書いた、評論やエッセイです。
様々な舞台や小説についても書いていますが、音楽についても触れています。

三島は、音楽をあまり好まなかったものの、音楽の本質を捉えていたと思います。

音楽に対してどういう感情を抱いていたか。一言で言ってしまえば、

「恐怖心」 

です。その理由は、

音楽には形がないから 

です。

音に対する恐怖

三島は、音楽に対して恐怖心を持っていました。

なぜ音楽だけが私に不安と危険を感じさせるかといえば、私には音という無形態なものに対する異様な恐怖心があるのである。

三島由紀夫『小説家の休暇』(新潮文庫)22頁。

「音という無形態」なものに対する恐怖心です。

他の芸術とも比較しています。

他の芸術では、私は作品の中へのめり込もうとする。芝居でもそうである。小説、絵画、彫刻、みんなそうである。音楽に限って、音はむこうからやって来て、私を包み込もうとする。それが不安で、抵抗せずにはいられなくなるのだ。

たしかに、絵画でも彫刻でも目の前に物体として作品があります。
小説にしても、三島が生きた時代には、目の前に物体としての本がありました。

しかし、音楽はむこうからやって来る。形もない。

そこに恐怖心を抱きました。

ただし、音楽が一般的にそう捉えられるという話ではなく、「すぐれた音楽愛好家」には形が見える、としています。

すぐれた音楽愛好家には、音楽の建築的形態がはっきり見えるのだろうから、その不安はあるまい。しかし私には、音がどうしても見えて来ないのだ。

三島には、形が見えるほどの音楽の理解には至らなかったようです。

形のない音楽


でもこれは音楽の本質を捉えていると思います。

他の芸術に比べて、音楽には目に見える形がありません。

6月29日の日記でもこのように述べています。

音という形のないものを、厳格な規律のもとに統制したこの音楽なるものは、何か人間に捕らえられ檻に入れられた幽霊と謂った、ものすごい印象を私に惹き起こす。

三島由紀夫『小説家の休暇』(新潮文庫)18頁。

まとめ

三島由紀夫は、音楽は形がない(少なくとも三島には見えない)故に、怖いと言ったわけです。

「恐怖心」は大袈裟かもしれませんが、音楽の本質を捉えていると思います。

自分にも、理解できない作品や演奏を目の前にすると、音楽がむこうからやってきて、逃げ出したくなる時もあります。そんな時、三島の言葉を思い出します。

でも、果たして音楽には本当に形がないのでしょうか?
どうしたら見えるようになるのでしょうか?

また書きたいと思います。

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