通奏低音の半音上行のみで構成されたわずか8小節の珍しいレチタティーヴォ【モーツァルト《コシ・ファン・トゥッテ》から】

レチタティーヴォ

レチタティーヴォ・セッコの通奏低音に目を向けたことはあるでしょうか?

普段何気なく歌ったり、耳にしているレチタティーヴォ・セッコですが、通奏低音の進行に注目すると、色々と見えてきます。

今回は、《コシ・ファン・トゥッテ》の中から、珍しいレチタティーヴォ・セッコを紹介します。

モーツァルトのレチタティーヴォ

モーツァルトは基本的に自分でレチタティーヴォ・セッコを作曲しました。

そんなの当たり前じゃないの!?と思うかも知れませんが、1760年代半ば以降ナポリには、レチタティーヴォを作曲する専門の人がいたことがわかっています。

モーツァルトの《皇帝ティートの慈悲》は、《レクイエム》の補筆で有名なジュスマイヤーが書いたと言われています。
やっぱりこのオペラのレチタティーヴォはすごく違和感あります。

モーツァルト《コシ・ファン・トゥッテ》のレチタティーヴォ・セッコ

ダ・ポンテ・オペラと呼ばれる3つの作品、《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》《コシ・ファン・トゥッテ》は、特に念入りにレチタティーヴォ・セッコも作られています。

特に《コシ・ファン・トゥッテ》は、その中でも気合が入っているように思います。

そんな《コシ・ファン・トゥッテ》には、とても珍しいレチタティーヴォ・セッコがあります。

わずか8小節の短い部分なのですが、最後のカデンツ以外、通奏低音が全て半音階で上行していくのです。

少なくともダ・ポンテ・オペラの中には、他にこのような箇所はありません。

1幕第4景

それがこの箇所です。

7番のフェランドとグリエルモの小さい二重唱の後です(1回目の合唱が入る前です)。


アルフォンソ:この喜劇は気持ちが良い、2人ともうまく役をこなしている。
(太鼓の音が聞こえる。)
フェランド:大変だ!これは、恋人から僕を引き離すことになる忌まわしい太鼓だ。
アルフォンソ:さあ、友たち、船だ。
フィオルディリージ:私、寂しい。
ドラべッラ:私、死ぬわ。

自分たちの恋人が、戦地へ行くことになったこと(本当は嘘)を知らされて嘆き悲しんでいるところに、軍隊の船が来る場面です。

通奏低音がE音で始まり、A音まで半音で上行していきます。

軍隊の到着を表す太鼓の音が聞こえ(譜例のA)、それに反応して必死に演技をするフェランドと、恋人が軍隊へ行くという現実が近づいた2人の姉妹の悲劇性と緊張感を、通奏低音のバスの半音上行を用いて表出しています。

この場面のおかしさというか、わざとらしい切羽詰まった感を、モーツァルトがニヤニヤしながら、「半音ずつ上げていっちゃえ」と作曲している姿を想像してしまいます。

まあ、姉妹たちは本気で悲しんでいます。

フィオルディリージの「私、寂しい。」という台詞では、減七の和音が使われて(譜例のB)、その悲しみが表現されているようです。

まとめ

《コシ・ファン・トゥッテ》のレチタティーヴォ・セッコについて、この100倍くらいの情報を小難しく書いた論文がこちら↓から読めます。笑

もし興味ある方は読んでみてください。
レチタティーヴォのネタは、今後どんどん投下していきます。

その他の記事。