村上春樹『職業としての小説家』に学ぶ「職業としての音楽家」【時間を味方につける】

言説

村上春樹が平易な文章で書いた『職業としての小説家』には、音楽家も学べる内容がたくさん書かれています。

『職業としての小説家』を読むことで、「職業としての音楽家」について考えることができると言えるでしょう。

今回はその中から、ある1章を紹介します。

『職業としての小説家』

この本は、タイトルからも分かる通り、いわば村上春樹の仕事論とでも呼べるような一冊です。

作家には様々なタイプの方がいますが、村上春樹は「音楽」との親和性が高い作家です。

小説を書くという行為を、音楽を演奏する感覚(それも即興演奏)に喩えています。

小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。僕はその感覚を今でも大事に保っています。それは要するに、頭で文章を書くよりはむしろ体感で文章を書くということかもしれません。リズムを確保し、素敵な和音を見つけ、即興演奏の力を信じること。

『職業としての小説家』(新潮文庫)、55頁。

各回(章)の構成

  1. 小説家は寛容な人種なのか
  2. 小説家になった頃
  3. 文学賞について
  4. オリジナリティーについて
  5. さて、何を書けばいいのか?
  6. 時間を味方につける──長編小説を書くこと
  7. どこまでも個人的でフィジカルな営み
  8. 学校について
  9. どんな人物を登場させようか?
  10. 誰のために書くのか?
  11. 海外へ出て行く。新しいフロンティア
  12. 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出

それぞれ音楽にも当てはまる内容です。

例えば、

  • 1. 小説家は寛容な人種なのか → 【音楽家は寛容な人種なのか】
  • 3. 文学賞について → 【コンクールについて】
  • 10. 誰のために書くのか? → 【誰のために作曲(演奏)するのか】

と言った具合です。

第六回 時間を味方につける──長編小説を書くこと

今回の記事では、第6回(章)に当たる部分から引用します。

この回は、長編小説を書くということ、それに伴って、どうやって時間を味方につけるのかが書いてあります。

規則性

長編小説を書く場合は、1日で400字詰め原稿用紙10枚分くらい書くことにしているそうです。

もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。

154頁。

小説家のイメージというと、締め切りに追われ、最終的には間に合わなくて編集者が小説を書くための旅館を用意して、意地でも終わらせる、みたいなイメージがありますが(何十年も前ですね笑)、村上春樹はそういったイメージの作家像からかけ離れています。

いわば、決められた時間に出社して、決められた量をこなす公務員のように、もしくは、伝統工芸の職人のように働くのです。

本人もこのように言います。

そんなの芸術家のやることじゃない。それじゃ工場と同じじゃないか、と言う人がいるかもしれません。そうですね、たしかに芸術家のやることじゃないかもしれない、でもなぜ小説家が芸術家じゃなくてはいけないのか?いったい誰がいつそんなことを決めたのですか?誰も決めていませんよね。

154頁。

舞台上での華やかな姿が印象的な音楽家も、コツコツタイプが多かったりします。

以前の記事で紹介した藤村実穂子さんも、まさにその典型ですね。

第三者の意見

最初の読者

村上春樹の場合、最初の読者は奥さんです。ある程度かたちになったところで、奥さんに原稿を読ませます。

意見を言ってもらうそうなのですが、もちろん反論したくなる時もあるようです。

ですが、彼は個人的ルールを持っています。

「けちをつけられた部分があれば、何はともあれ書き直そうぜ」  161頁。 

ということです。

完璧な文章はない

とにかく書き直す理由については、「完璧」はないからと言っています。

なぜならある文章が「完璧に書けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。

162頁。

村上春樹の処女作『風の歌を聞け』の冒頭の文章を思い起こさせます。

こちらは小説内の言葉ですが、やはり彼自身の考えでもあります。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

『風の歌を聞け』(講談社文庫)、7頁。

「何かしらの問題」

他人の意見はすべて鵜呑みにしてはいけないという前提で述べていますが、「何かしらの問題」を考える必要があるとしています。

僕は思うのだけど、読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしら・・・・の問題が含まれていることが多いようです。

161〜162頁。

ここまで読むと、素直に書き直すように見えますが、そんなことはありません。笑

あえて反対のことをやる

言われたことと反対のことをやる時もあるそうです。

ある長編小説を書いていたときのことですが、僕は原稿の段階で、あまり「合わない」編集者から指摘があった箇所をすべて書き直しました。ただし、大半は、その人の助言とは真逆の方向に書き直しました。たとえば「ここは長くした方がいい」と言われた部分は短くし、「ここは短くした方がいい」と言われた部分は長くしたわけです。

165頁。

合わない編集者、という前提がありますね。

そのまま従うのは嫌だけれど、「何かしらの問題」を追求しているわけです。

音楽をやっていても、自分はこうしたいのに違うこと要求されることがあります。

そんなときに、それを無視するのではなく、「何かしらの問題」を考えて、あえて言われたことと反対をやる、という勇気も必要かもしれません。

まとめ

村上春樹は、職人的な作家と言えます。

この本には音楽家が応用できることもたくさん書かれており、自分自身にとってもバイブルとなっているような本です。

最後に、この本で引用されている、私の好きな言葉を紹介します。

村上春樹も敬愛する小説家レイモンド・カーヴァーの言葉です。

ひとつの短編小説を書いて、それをじっくりと読み直し、コンマをいくつか取り去り、それからもう一度読み直して、前と同じ場所にまたコンマを置くとき、その短編小説が完成したことを私は知るのだ。

168頁。

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