トカルチュク『逃亡派』と「ショパンの心臓」
ショパンのことを考えていたら、ふとトカルチュクの小説を思い出しました。
『逃亡派』という小説に、「ショパンの心臓」という断片があります。
トカルチュクとは
オルガ・トカルチュク Olga Nawoja Tokarczuk(1962-)は、ショパンと同じポーランドの小説家です。
2019年にノーベル文学賞も受賞しています。
日本でも3冊ほど翻訳が出ており、いずれも小椋彩さんによるものです。
ノーベル文学賞受賞の際のコメント
本を買った時に挟まっていた、ノーベル文学賞受賞の際のコメントが好きです。
いまわたしたち作家はこれまでになく難しい課題に立ち向かわなくてらならなくなっているというのに、文学は、動きの遅い芸術です。執筆のプロセスには時間がかかるので、「動いている」世界をキャッチするのは難しいのです。わたしはしばしば、思います。世界を描くことは、そもそもまだ可能なのだろうかと。世界の形はますます流動的で、定点は溶解し、価値が喪失していく中で、すでにわたしたちは無力なのではないのかと。
現代は、どんどん速い世界になっていますが、文学は動きが遅いと言います。
一つの物語が世に出るまでに、何時間もかかるし、それでも世に出ないことがほとんどです。
それでもトカルチュクはこう続けます。
わたしは文学を信じています。(中略)世界を、生きたひとつの全体であるかのように語る、それがわたしたちの眼前でたえず発展しつづけていて、そこに暮らすわたしたちが、ほんのちいさな、でもそれと同時に力強いその一部なのだと語る文学を。
一つの物語に救われることがあります。
小説に没頭すると、物語の中に自分が入り込んで、その世界が現実なのではないかと思ってしまうこともあります。
文学にはそんな強い力もあります。
『逃亡派』
この小説は、116の〈旅〉のエピソードから構成されています。
小説というよりも断片が集まったような、かといって短編でもないような不思議な世界の小説です。
訳者によるあとがきによると、
ロシア正教のあるセクトには、静止を悪と考え、動きつづけることが神への信仰をあらわすとする教義がある。
そのセクトの名前が「逃亡派」だそうです。
小説の最初の方にもこう書いてあります。
あらゆる危険をさしひいても、いつだって、動いているなにかは、止まっているなにかよりすばらしい。変化は恒常よりも高潔だ。動かずにいれば、崩れること、退歩すること、塵となることを避けられない。けれども動いているものは、永遠に動きつづけることもありえる。
よくビジネス系YouTuberも「行動しろ、動け」といいますが、それとは違った重みのある言葉です。
「ショパンの心臓」
この小説のエピソードに、「ショパンの心臓」と題された節があります。
ショパンの心臓をワルシャワに葬るために、パリから馬車で運んでいくショパンの姉ルドヴィカの物語です。
1849年10月30日、パリのマドレーヌ寺院での葬儀の様子も描かれています。
ショパンはモーツァルトの《レクイエム》が演奏されることを望んでおり、当時有名だった歌手のルイージ・ラブラーシュなども駆けつけました。
この小説には途中にレクイエムの歌詞が挟まれたりします。
最後は「こうしてショパンの心臓は、首都にたどり着いた。」という一文で終わる短い物語です。
おわりに
ショパンの心臓を運ぶお姉さんのことを、この小説のテーマである「旅」「移動」の物語として美しく描かれています。
ショパンは生前、自分の心臓を祖国に返してほしいと願っていました。
ノーベル文学賞作家トカルチュクも、自国のショパンを愛していたのですね。
【あと1週間!】ショパン展に行くべき3つの理由【結論:自筆譜、背景、人々のショパンへの愛】
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ショパンと歌(手首で呼吸!?)
ショパンはオペラが好きだった、とよく言われますね。弟子らの証言からも、ショパンの音楽の理想は良い歌だったとわかります。普段ピアノのレッスンでも、「もっと歌うように」と言われたり言ったりすると思いますが、ショパンも頻繁に弟子たちに言っていたようです。