【解説】シューベルト《美しき水車小屋の娘》を理解するための3つの背景

楽曲解説

シューベルトの有名な歌曲集《美しき水車小屋の娘》について少し解説します。

この歌曲集の物語を一言で表すと、

「粉挽き職人の若者が、水車小屋の親方の娘と出会い、恋が実るが、のちに失恋し、自ら命を断つ」

という物語です。

詩人ミュラーと水車小屋の物語

当時、この物語の元となったパイジェッロのオペラ・ブッファ《ラ・モリナーラ(邪魔の入った恋、または水車小屋の娘)》(1788)が、ドイツとオーストリアで“Die schöne Müllerin”(この歌曲集と同じタイトル)と題されて上演され、非常に人気でした。

ゲーテもこのオペラに惹かれ、ベートーヴェンにいたってもアリアを元にして2曲も作品を書いているほどです。

さて、このような題材を、ベルリンの枢密顧問官、シュテーゲマンが自身のサロンでも取り上げることを望み、《水車屋の娘ローゼ》(1817)という歌芝居を仲間たちと演じました。

その中に、詩人ミュラー(1794 – 1827)もいたのです。

なんと彼の名前(Müller)は、ドイツ語で「粉屋」という意味もあることから、彼が粉挽き職人の若者の役を演じることになりました。

この劇では各自が、自身の役が謳う詩を書きました。
ミュラーはそこで詠んだ詩を様々な雑誌に発表した後、『旅するホルン吹きの遺稿集』(1821)と題して出版しました。

シューベルト(1797 – 1828)がどのようにしてミュラーの詩集を手に入れたかははっきりわかっていない上に、彼らは1度も会っていないのですが、

なんらかの経路で1823年までにはこの詩集を手に入れ、10月から11月の間に、プロローグ、エピローグ、それに3篇の詩を省いた20編の詩に作曲しました。

物語の社会的背景

さて、どうしてこのような水車小屋の若者を主人公とする台本や詩が当時人気であったかというと、そこには以下の3つの背景があります。

  • 産業革命
  • 「自然への憧れ」
  • 新しい形の愛(そして愛の喪失)の誕生

一つずつ見ていきます。

産業革命

ドイツには中世からギルド制と呼ばれるものがありました。

手に職をつけたい若者はまず親方の元に弟子入りして数年修行
   ↓
その後旅をしながら各地の親方の元で再び腕を磨く
   ↓
試験を受けて認められるとようやく一人前の親方となる
   ↓
同業組合に入る

このような流れでした。

しかし、18世紀から19世紀にかけて産業革命が発展してくると、手工業が機械に取って代わられ、この制度も徐々に崩れていきます。

そのような中で、職人を目指す若者は、工場での単純労働に吸収されます。
旅をしながら親方を目指して修行するという可能性が奪われていくのです。

それに対して葛藤する若者が増えました。

修行(青春)と旅が結びつかなくなってしまったからです。

この歌曲集は、当時失われつつあった、職人を目指す若者が旅に出ているシーンから始まります。

「自然への憧れ」

産業革命による自然の破壊により、水車も減っていき、「自然への憧れ」が叫ばれるようになります。

水車は古来、自然と調和し、人力に代わる重要な動力源でしたが、産業革命の進展につれて、消えゆく運命となってしまったのです。

この物語の背景には、失われていく自然(水車)への郷愁があるのかもしれません。

新しい形の愛(そして愛の喪失)の誕生

市民革命によって新しい形の愛、そして愛の喪失が芽生えました。

旧秩序では愛には制限がありましたが、新しい社会では、初めに愛があっての結婚が考えられるようになってきました。

しかし自由な恋愛が許される中で、若者たちには叶わない恋や失恋を経験するという現実が待っていました。

そしてこれこそが、ロマン派の文学や音楽の主要テーマとなります。

この物語の主人公も叶わない恋を経験し、自ら命を断ちます。

歌曲集の大まかな流れ

以下に、この歌曲集のあらすじと各曲の割り当て(括弧で示す)を大まかに記します。

「希望に満ち溢れた粉挽き職人の若者が、新しい親方と職場を求めて旅に出る(1)。彼は小川に沿って歩き(2)、ある水車小屋に辿り着く(3)。そこの親方には美しい娘がいるのだが(4)、振り向いてもらえず(5)、小川に問いかける(6)。情熱的な愛ゆえにいらだち(7)、なかなか距離も縮められない(8)。そして川のほとりの花々に問いかける(9)。やっとのことでこぎつけた初デートも、雨が降ってきて娘は帰ってしまうが(10)、やがて恋が成就し(11)、心が満たされ(12)、娘の好きな緑色を讃える(13)。ところが恋敵の狩人が出現し(14)、娘を取られた怒りを小川にぶつける(15)。若者には娘の好きな緑色が不吉に写り(16)、それが狩人と重なり忌まわしい色となる(17)。そして死を決意し、花に問いかけ(18)、ついに小川に身を投げる(19)。最後に小川が安らかに子守唄を歌う(20)。」

まとめ

この物語には、以上のような3つの社会的背景があります。
それを知るだけでも、主人公との距離がグッと近くなるのではないかと思います。

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この解説は、演奏会のために書いた解説を簡易にしたものです。
原文はこちらのページからダウンロードできます。
https://kensuketakahashi.com/biography/