ズドゥルッチョロ sdruccioloの喜劇性【ドゥルカマーラのアリア、セヴィリアとコジのフィナーレ】

オペラ

先日の記事「なぜモーツァルトはダ・ポンテが書いた台本の単語を変えたのか【音楽的欲求の例】」で、ズドゥルッチョロには喜劇性を表出するという役割があると書きました。

ズドゥルッチョロ詩行について解説されたものは日本語でも多くありますが、これらの歴史や意味について解説されたものは日本語ではまだありません。

今回は、オストホフのイタリア語の論文から紹介します。

出典

だいぶ古い論文ですが、内容は古くなっていません。

Osthoff, Wolfgang, “Musica e versificazione: Funzioni del verso poetico nell’opera italiana,” in La drammaturgia musicale, ed. Lorenzo Bianconi, Bologna: Il Mulino, c1986.

なお、具体的な曲の例は、自分が今まで触れた曲からオリジナルでも選んでいます。

ズドゥルッチョロ sdruccioloとは

Sdrucciolo(ズドゥルッチョロ)詩行

ズドゥルッチョロ詩行 は、語末から【3番目】の音節にアクセントがある単語で詩行が終わる形式です。

単語としては「vegetabile、rustici、mobile」などです。

詩行の中で音節を考える時のポイント

di vegetabile

上の詩行(ご存知の通りOmbra mai fuより)は、普通に音節を数えると6音節ありますが、ズドゥルッチョロの場合は1音節引いて5音節と考えます(6-1=5)。

他にも、よく使うものとしてはピアーノ詩行とトロンコ詩行があります。

Tronco(トロンコ)詩行

トロンコ詩行は、最後の音節にアクセントが付く単語で詩行が終わる形式です。

単語としては「più、piè、potrò」などです。

詩行の中で音節を考える時のポイント

soave più

普通に音節を数えると4音節ですが、今度はズドゥルッチョロの時と反対に、1音節付け加えます(4+1=5)。

音楽的にはフレーズの終わりを決めるために、詩行のまとまりの最後がトロンコで終わることが多いです。

piano(ピアーノ)詩行

ピアーノ詩行は、語末から2番目の音節にアクセントがある単語で詩行が終わる形式です。

単語としては「andare、volere、Milano」などです。
イタリア語の基本的なアクセントの位置で、単語も多いです。

ズドゥルッチョロが意味するもの

ここからが本題です。

ズドゥルッチョロ詩行が意味するものは、大きく分けると3つあります。

  • 地上の世界を超えた領域
  • 牧歌的表現、自然、平和の象徴
  • 喜劇性

台本作家は、これらを意識的に、重要な箇所で用いました。

そもそもズドゥルッチョロの単語が少ないということもありますが、むやみやたらとズドゥルッチョロ詩行は使われません。

詩行には歴史と意味があり、聴き手を特定のトポスに導く役割があります。

今回は、この3つの中でも最もわかりやすい「喜劇性」を、具体的に曲を取り上げながら見ていきます。

ズドゥルッチョロの具体例

ロマーニ台本、ドニゼッティ《愛の妙薬》(1832)(7音節詩行)第1幕 ドゥルカマーラのアリア

薬売りドゥルカマーラが村に登場するシーンのアリアです。
村人たちに薬の宣伝をするのですが、全ていかさまです。

ズドゥルッチョロを用いることで、いかさまな薬売りということが韻文でも示されているんです。

よくもこんなにズドゥルッチョロの単語を集めたなというくらい、ズドゥルッチョロのオンパレードです。

だから聴いていて楽しくなるんですよね。

テンポが上がってからは、文末だけでなく、途中にもオンパレードです。
青で囲ったところはトロンコです。

単語や詩のリズムが音と絡まって、面白さを引き出しています。

ズドゥルッチョロを使う場合、自然と音符も「タータタ」となることが多くなります。

なおかつ面白いのは、オーケストラの音形も「タータタ」となっていることです。
このアリアの動機は、ズドゥルッチョロから生まれているのです。

ステルビーニ台本、ロッシーニ《セヴィリアの理髪師》(1816)(5音節詩行)第1幕フィナーレ、最終場

1幕フィナーレで、酔っぱらった兵士が実はアルマヴィーヴァ伯爵だったことが分かり、士官が逮捕せずに引き下がるところです。

周りのみんなは、びっくりして固まります。

背筋が冷たく動けない。
まるで立像のようだ。
呼吸する息も切れてしまった。

この後の部分も同じように、ズドゥルッチョロが使われます。
事実を知っているフィガロは、固まってしまったバルトロを見て笑います。

ドン・バルトロを見てごらん。
まるで立像だ。
アッハッハ、笑いすぎて死にそうだ。

音楽的にも、演出的にも一時停止します。緊張感がありながら、それがおかしい場面です。
実は韻文の時点で、この喜劇性は設計されているんですね。

ダ・ポンテ台本、モーツァルト《コシ・ファン・トゥッテ》(1790)(5音節詩行)第1幕フィナーレ、第16景、デスピーナ

1幕のフィナーレ、お医者さんに変装したデスピーナが、ちょっと狂ったラテン語で話した後に、いろんな言葉を話せますよというシーンです。

これはもちろんインチキです。

ご指定のように、話しましょう。
私は、ギリシャ語に、アラビア語、
トルコ語に、ヴァンダル語、
スウェーデン語に、ダッタン語を知っています。
まだまだ話せます。

ここでは、「ギリシャ語(greco)、アラビア語(arabo)、トルコ語(turco)、ヴァンダル語(vandalo)、スウェーデン語(sveco)、ダッタン語(tartaro)」と6つの言葉が出てきます。

So il greco e l’arabo,
So il turco e il vandalo;
Lo svevo e il tartaro

ダ・ポンテは、ここで適当な国の言葉を並べているわけではないということがわかります。

つまり、ズドゥルッチョロの単語を2番目、4番目、6番目に使って、「ズドゥルッチョロ詩行」になるよう工夫しているんです。

モーツァルトもズドゥルッチョロに従って、「タータタ」というリズムを使っていますね。

まとめ

ズドゥルッチョロが意味する以下の3つのもののうち、「喜劇性」を取り上げました。

  • 地上の世界を超えた領域
  • 牧歌的表現、自然、平和の象徴
  • 喜劇性

喜劇性をもつズドゥルッチョロは、今回見た以外にもあります。

ぜひ見つけて見てください。

 

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