異界、自然界の象徴としてのズドゥルッチョロ sdrucciolo【《オンブラ・マイ・フ》、《千人の交響曲》、ウルリカのアリア、《フィガロ》4フィナの韻律の秘密】

オペラ

前回の記事「ズドゥルッチョロ sdruccioloの喜劇性【ドゥルカマーラのアリア、セヴィリアとコジのフィナーレ】」の続きです。

前回の記事をまだお読みでない場合は、先に読んでいただけるとわかりやすいと思いますが、こちらからでも大丈夫です。

ズドゥルッチョロ詩行について解説されたものは日本語でも多くありますが、これらの歴史や意味について解説されたものは日本語ではまだありません。

今回も、オストホフのイタリア語の論文から紹介します。

出典

Osthoff, Wolfgang, “Musica e versificazione: Funzioni del verso poetico nell’opera italiana,” in La drammaturgia musicale, ed. Lorenzo Bianconi, Bologna: Il Mulino, c1986.

なお、具体的な曲の例は、自分が今まで触れた曲からオリジナルでも選んでいます。

ズドゥルッチョロが意味するもの

以前の記事の復習です。

ズドゥルッチョロ詩行が意味するものは、大きく分けると3つあります。

  • 地上の世界を超えた領域
  • 牧歌的表現、自然、平和の象徴
  • 喜劇性

台本作家は、これらを意識的に、重要な箇所で用いました。

そもそもズドゥルッチョロの単語が少ないということもありますが、むやみやたらとズドゥルッチョロ詩行は使われません。

詩行には歴史と意味があり、聴き手を特定のトポスに導く役割があります。

今回は、このうち「地上の世界を超えた領域」と「牧歌的表現、自然、平和の象徴」を、具体的に曲を取り上げながら見ていきます。

「地上の世界を超えた領域」を象徴するズドゥルッチョロの例

ゲーテ『ファウスト』第2部最終場「山峡」

さて、いきなりイタリア語ではなくドイツ語での例を出してしまいます。

ズドゥルッチョロは「ダクテュルス Daktylus」の一種とも言えます。
古代ギリシアやラテン語の古典詩から伝統がある、強弱弱格もしくは長短短格の韻律です。

ゲーテの『ファウスト』第2部の最終場にダクテュルスが出てきます。

この「山峡」の場面は、ファウストの昇天が描かれており、地上の世界を超えた領域といえます。

『ファウスト第二部』最終場面「山峡」は、壮大な冒険を駆け抜けたファウストをとおして、かれの肉体の死後における魂の救済と再生を描いたヴィジョンである。キリスト教的な神秘思想の象徴にのっとった世界であり、『ファウスト』という、時に異教的ですらある物語においては異質な空間といえる。(片岡慎泰『「山峡」の特殊と普遍についての一考察』より)

マーラー《交響曲第8番》(『千人の交響曲』)第2部

この部分を用いた音楽として、マーラー《交響曲第8番》(『千人の交響曲』)の第2部が有名です。

【ト書き】山峡、森、そびえる岩、寂寥の地。
信仰深い隠者たち(山腹に分かれて、岩の裂け目に宿営している)。

Waldung, sie schwankt heran,
Felsen, sie lasten dran,
Wurzeln, sie klammern an,
Stamm dicht an Stamm hinan.
Woge nach Woge spritzt,
Höhle, die tiefste, schützt.

森の木々はこちらへとなびき、
岩壁が重なりあってのしかかっている、
木の根、それは絡みつき、
幹は互いに寄りそって聳え立ち、
奔流は激流に向かってしぶきをあげる。
洞穴、それは奥深く、われらを守る。

太字部分がアクセントです。単語ではなく、詩行の後ろから3番目にアクセントがあります。
マーラーが書いた音形はダクテュルスに従って、アクセント部分は付点音符によって長くなっています。

(紙面の都合により管楽器部分はカット)

その後の、法悦の教父(PATER ECSTATICUS)も同様です。

Ewiger Wonnebrand
Glühendes Liebesband,
Siedender Schmerz der Brust,
Schäumende Gotteslust!

永遠の歓喜の炎、
灼熱なる愛のきずな、
沸きたぎる胸の痛み
昂ぶる神への悦び。

ソンマ台本、ヴェルディ《仮面舞踏会》第1幕第2場 ウルリカのアリア

続いてイタリア・オペラの例です。

煮え立つ大釜の前で、女占い師ウルリカが呪文を唱えます。
オペラ全体を通して観ても、異質な場面です。

Re dell’abisso, affrettati,
precipita per l’etra,
senza librar la folgore
il tetto mio penètra.

地獄の王よ とく来たれ
大気を抜けて
稲妻を発することなく
わが屋根を貫いて参れ。

1行目と3行目がズドゥルッチョロです。
このアリアにはこの後、「upupa」「ignivora」「gemito」とズドゥルッチョロの単語が交互に出てきます。

音楽的にも、緊迫感があります。

カルツァビージ台本、グルック《オルフェオとエウリディーチェ》(1762)第2幕第1場、復讐の女神や死霊の台詞

復讐の女神たちと死霊たちの踊りの場面です。

Chi mai dell’Erebo
 Fra le caligini,
Sull’orme d’Ercole
E di Piritoo
Conduce il pié?

一体誰がエレボの
濃い霧の中を
エルコレや
ピリトオの跡に従い
歩み進んで来るのか?

ズドゥルッチョロと音形が完全に一致しています。
これも「地上の世界を超えた領域」を象徴しています。

このような例は他にも、チコニーニ台本、カヴァッリの『ジャゾーネ』(1649)第1幕、第14場、メデーアが悪魔の霊に願う台詞などに見られます。

「牧歌的表現、自然、平和」を象徴するズドゥルッチョロの例

ヘンデルの《セルセ》(1738)〈Ombra mai fu〉(5音節詩行)

「牧歌的表現、自然、平和」を象徴するもので1番なじみがあるのは、オンブラ・マイ・フでしょう。

王宮の中庭で、ペルシア王のセルセがプラタナスの木陰への愛を歌います。

Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più

これまでになかった、
このように生い繁り
愛しく、優しく、
心地の良い樹々の陰は。

1行目と4行目はトロンコになっています(青で囲った部分)。
2行目と3行目がズドゥルッチョロになっており、詩行全体としてはズドゥルッチョロと捉えます。

 

ズドゥルッチョロの2箇所は、付点で長くなっています。
トロンコの2箇所は、1拍目にあること、二分音符でしっかり伸ばすことで、トロンコの「締まり感」を出しています。

ダ・ポンテ台本、モーツァルト《フィガロの結婚》(1786)第4幕フィナーレ第13景、フィガロの台詞(7音節詩行)

4幕のフィナーレでフィガロが、伯爵夫人の振りをしたスザンナに、気づく前の場面の台詞です。

Tutto è tranquillo e placido;
entrò la bella Venere;
col vago Marte a prendere,
nuovo Vulcan del secolo
in rete la potrò!

全ては静かで穏やか。
美しきヴィーナスは入っていった。
ならば麗しきマルスと一緒に捕まえよう。
今世紀の新しいウルカーヌスが
網の中へ!

ローマ神話のお話に例えています。

  • ヴィーナス=スザンナ
  • マルス=伯爵
  • ウルカーヌス=自分(フィガロ)

ウルカーヌスはヴィーナスの夫となりますが、ヴィーナスはマルスと密通し、寝所にいる2人をウルカーヌスは網で捉えます。

密会しているスザンナと伯爵を今から捕らえようと言っているのですが、これをローマ神話を用いて、美しい詩行で表現しています。

そこにモーツァルトは、12小節間の平和で牧歌的な音楽を書きました。

たしかに、牧歌はフィガロによって皮肉をこめて咎められるが、モーツァルトは7音節のダクテュルス詩行の行末を文字通り受け取り、12小節間で誤解の夜を平和な場面に変えた(オストホフ)。

つまり、伯爵夫人だと思っているのがスザンナだとフィガロが気づくのは、この少し後なのですが、モーツァルトは韻文を読み込み、音楽でそれを先取りしたのではないかということです。

表面上の言葉(現場を捉えるぞ!)と、韻文に隠されている象徴が違うということです。
モーツァルトは、韻文に隠されている象徴を受け取って、音楽を平和的、牧歌的に書きました。

もちろん、「全ては静かで穏やか」と言っているから、このように穏やかな音楽なのだという主張もあるかと思いますが、さらにその背景には韻文の力もあるということですね。

まとめ(仮説)

ズドゥルッチョロが意味する以下の3つのもののうち、「地上の世界を超えた領域」と「牧歌的表現、自然、平和の象徴」を取り上げました。

  • 地上の世界を超えた領域
  • 牧歌的表現、自然、平和の象徴
  • 喜劇性

これらの使い分けについての私の仮説は、

  • テンポが比較的ゆっくりな時には「地上の世界を超えた領域」や「牧歌的表現、自然、平和の象徴」として用いられる。
  • オペラ・セリアの時代、オペラ・ブッファの時代、ベルカント・オペラ以降で使い方が異なる

ということです。

2つ目について補足すると、本来「地上の世界を超えた領域」や「牧歌的表現、自然、平和の象徴」を表現するために使われていたズドゥルッチョロは、オペラ・ブッファの興隆とともに「喜劇性」の意味も込められてくる。
そして時代が変われば再び戻った、ということです

あくまで仮説です。

このような例は他にも見つかりますので、見つけたら教えてください。

 

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