モーツァルト《コシ・ファン・トゥッテ》のレチタティーヴォ・セッコの45%は類似した和声進行③【定型のディミニッシュ型】

レチタティーヴォ

以前の記事で書いた《コシ・ファン・トゥッテ》のレチタティーヴォ・セッコについての続編です。

レチタティーヴォ・セッコの和声分析は、世の中にほとんどありません。

今回は、減七の和音が使われる箇所に注目します。

結論から言うと、減七の和音が使われる箇所は、短三和音が続けて使われる箇所と同様、「不幸」の予感がある箇所です。

減七の和音が続けて使われる箇所は、また別の要素も入ってきます

以前の記事の復習

《コシ・ファン・トゥッテ》のレチタティーヴォ・セッコの45%は類似した和声進行という話でした。

詳しくは、下の以前の記事をご覧ください。

今回はディミニッシュ型について解説します。

ディミニッシュ型

ディミニッシュ型も、前半ディミニッシュ型と全ディミニッシュ型に分けられます。

前半ディミニッシュ型

1つ目の和音、すなわち前半の属和音に当たる和音が減七の和音になるものです。

減七の和音は、頻繁に出てくるわけではありません。
モーツァルトのレチタティーヴォ・セッコの中では、とても印象的に響きます。

使用は以下の4箇所です。

  • アルフォンソの涙に気がつくドラベッラの台詞(1幕No.5の前)
  • フェランドを失ったら生きながら墓に入るようなものとドラベッラが言う箇所(1幕No.12の前)
  • フェランドがグリエルモの話によって、恋人(ドラベッラ)の貞節を疑いだす箇所(2幕No.26の前)
  • フェランドがアルフォンソに対して「ひどい人 barbaro」と言い、あなたのせいで自分は惨めになったと言う箇所(2幕No.27の前)
  • アルフォンソが士官2人に姉妹の貞節は守られなかったことを言う箇所(2幕No.30の前)

全マイナー型と同じく、いずれも不幸の予感がある箇所です。

具体例は次の全ディミニッシュ型で見てみます。

全ディミニッシュ型

1つ目の和音、すなわち前半の属和音に当たる和音と、3つ目の和音、すなわち後半の属和音に当たる和音が減七の和音になる型です。

使用は1箇所のみです。
つまり、減七の和音が続けて出てくるのはこの箇所のみです。

  • グリエルモがドラベッラを落とすための演技を始め、恋の病で気分が悪いとグリエルモが言う箇所(2幕No.23の前)

グリエルモ:ああ、辛い
ドラべッラ:どうかしました?
グリエルモ:とても気分が悪いのです、私の大事なお方。死にそうなほど、悪いのです。
ドラべッラ:(全然効果がないわ。)

ドラべッラを落とすために、グリエルもが必死になって演技する場面ですね。

死にそうなほど気分が悪い=あなたを思う気持ちが強すぎて毒を飲んだよう

ということです。

いわゆる、「劇中劇」を効果的に(大げさに)に表現するために、減七の和音を連発しています。
結果的にこのセッコの中で、ドラべッラは落ちてしまいます。

ここでは、「劇中劇」の劇的に大げさな様子を表現するために、減七の和音が使われていると言えます。

この場面は、オペラ全体の中でも重要なシーンですね。
ドラベッラがグリエルモに落ちる「きっかけ」となる箇所です。

そんな箇所に、特徴的な和声を使ったということです。

まとめ

減七の和音になった時には、物語や心情に何か変化が起こっています。

特に、連続で減七が使われる全ディミニッシュ型の箇所は、オペラ全体の中でも重要なシーンでした。

おまけ

定型のメジャー型、マイナー型、ディミニッシュ型の他に、「変形型」と区分できるものもあります。

変形型には、以下の5種があります。

  • 定型と和声が同じだが、バス音が一部変化したもの
  • 定型とバス音が同じで和声が変化や拡大したもの
  • バス音と和声がどちらも一部変化したもの
  • 定型1が途中で中断されるもの
  • 定型1を回避するもの

少し応用になるので、ご興味ある方はこちらの論文をご覧ください。

 

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