【公開】ショパン:バラード全曲 楽曲解説

楽曲解説

この楽曲解説は、2019年11月14日に埼玉会館で行われた「埼玉県民の日コンサート」のために執筆した原稿の第1稿です。

※なぜ第1稿かというと、私が文字数の計算を間違えており、当日掲載されたものは大幅に文字数を削ったものだからです。

演奏は、平成30年度下總皖ー音楽賞を受賞された、東京藝術大学名誉教授の北川暁子先生によって行われました。

ショパン バラード全4曲

 ショパン(1810 – 1849)が残した4曲のバラードは、ピアノ作品における「バラード」というジャンルを確立しただけでなく、様々な音楽要素を取り入れることで新たな音響形式を生み出したと言える。「バラード」とはもともと文学上の用語であり、叙事詩と抒情詩を混ぜ合わせた中間的な性格をもち、それに加えて物語性のある詩のことである。ショパンは、同年生まれのシューマン(1810 – 1856)とは対照的に、標題音楽や文学から縁が遠く、音楽の自律性を求めたが、このようなジャンルを生み出したことには何か思いがあったのであろう。この4曲のバラードは、ポーランドの詩人ミツキェヴィチの詩から着想を得たともしばしば言われるが、根拠も関連性も薄い。4曲に共通しているのは複合拍子(6/4、6/8)という点と、「静」と「動」、言い換えれば「平穏」と「激情」の起伏に富んだ対比が根底にあるということである。いずれの4曲も創作の絶頂期に完成されたショパンの傑作であり、ショパンの後には、リストやブラームス、フォーレなどがこのジャンルを継承した。

《第1番》ト短調 作品23

 ウィーンでのスケッチ(1831年)が残されているが、1835年のパリで完成した。主調のナポリ6度調である変イ長調の荘重なラルゴに始まり、物憂げな第1主題がモデラートで奏でられる。これが繰り返されるうちに次第に速度を増していき、やがて変ホ長調の伸びやかな第2主題が現れる。これらの主題は効果的に展開されていき、ダイナミックなコーダで幕を閉じる。シューマンはこのバラードを大変気に入っており、「彼の作品の中で、最も彼の天才性が現れた曲」と述べた。

《第2番》ヘ長調 作品38

 1836年に原形となるものが作曲され、それを元に1839年、マヨルカ島で手が加えられた。この作品は、《クライスレリアーナ》を送られた返礼としてシューマンに献呈されており、「冒頭の単純な楽節ほど美しいものがありえようか」と彼は称賛している。作品全体は「ABABコーダ」の形式となっており、静(A)と動(B)の極端な対比がこの作品の核となっている。創意工夫に満ちたコーダの最後は、イ短調での静かな終止となっているが、1836年にシューマンに聴かせた時は、ヘ長調で終止したと言われている。

《第3番》 変イ長調 作品47

 1840年から1841年に作曲され、ショパンが1番幸福だった時期の作品である。シューマンがこの曲に対して、「フランスの首都の貴族的環境に順応した、洗練された知的なポーランド人が、その中に明らかに発見される」と述べたように、パリ社交界の華やかさを思い起こさせるような流麗な作品である。優美な主題に始まり、そこに様々な装飾音形が散りばめられる。やがてリズミカルな第2主題が加わり、転調が重なる中で、時には陰鬱さを見せながらも、華やかな終盤へと向かう。ショパン自身も気に入った作品の1つで、1842年2月にパリの公開演奏会で披露している。

《第4番》ヘ短調 作品52

 1842年から1843年に作曲されているが、この時期は恩師ジヴニーと親友マトゥシンスキの死などによって精神的ダメージを抱えていた。そのため全4曲の中でも、とりわけ内省的で陰影に富んでいる。アメリカの批評家、ジェームス・ハネカー(1860 – 1921)が「遅く悲しいワルツ」と述べた第1主題が、変奏曲的に発展していく。その中で、ショパンにしては珍しいカノン風の展開や、織物のように繊細に絡まっていくショパン特有の旋律が際立つ。悲劇的なコーダの前では、嵐の前の静けさとも言える荘重な和音が挟まれる。最後の決然とした和音に向かって、コーダは一気に駆け抜ける。

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