なぜモーツァルトはダ・ポンテが書いた台本の単語を変えたのか【音楽的欲求の例】
台本作家ダ・ポンテと作曲家モーツァルトの共同作業によって、3つの名作オペラが生まれました。
実は、モーツァルトは作曲する際にダ・ポンテの台本を多少変えています。
「なぜ変えたのかな?」と考えてみると、面白いことがわかってきます。
今回は、モーツァルトが音楽的欲求のために台本を変更した例を《コシ・ファン・トゥッテ》から2つ見てみます。
感嘆符(!)、疑問符(?)、三点リーダー(…)の変更
《コシ・ファン・トゥッテ》第1幕フィナーレです。
毒を飲んだ(ふりをした)男2人が死にかける(ふりをする)のを見て慌てる姉妹。
デスピーナに助けを求めます。
モーツァルトの変更
以下のように、ダ・ポンテが書いた台本と、モーツァルトが楽譜に書いたものでは、感嘆符(!)、疑問符(?)、三点リーダー(…)が変更されています。
モーツァルトにどんな意図があったのかを考えてみると、音楽的欲求と結びついていると考えられます。
「!」の部分にはスタッカートのついた8分音符の忙しい音形を書いています。
これは姉妹たちの慌てる様子を表現してます。
「?」の部分にはレガートの4分音符の音形です。
余裕なデスピーナの様子ですね。
感嘆符(!)と疑問符(?)が、見事に音楽と結びついているのです。
2小節単位で「!」と「?」が音楽でも対比されているのがわかると思います。
ダ・ポンテが書いた通りの台本の「!」「?」「…」の配置だと、このような表現は生まれなかったかもしれません。
意味は同じで、綴りが異なる単語への変更
tossico(ダ・ポンテ台本)→ tosco(モーツァルト自筆譜)
同じく1幕のフィナーレです。毒を飲んで気絶した(ふりをする)男2人が目を覚ました後です。
狂ったようにわざとらしく求愛する男2人の味方をするために、デスピーナとアルフォンソが「まだ毒の影響です、心配いりません」と姉妹たちに言います。
ここでモーツァルトは、ダ・ポンテが書いた「毒」という意味の「tossico」を「tosco」に変えています。
「tossico」と「tosco」は、綴りは違いますが、意味は同じです。
ではなぜ、ダ・ポンテが書いた「tossico」ではなく、モーツァルトは「tosco」に直したのか。
これも音楽的欲求によるものだと考えられます。
ダ・ポンテの視点
ダ・ポンテはズドゥルッチョロと呼ばれる、語末から3番目の音節にアクセントがある韻文で喜劇的な面を強調しました(ズドゥルッチョロには喜劇性を表出するという役割もありました)。
tossico “to”にアクセント
モーツァルトの視点
しかし、モーツァルトは8分音符の連続にぴったり当てはまる単語を使うことを優先させたと推測できます。
「tossico」を使ってしまうと、そこだけ付点音符を使わざるを得なくなります。
ヴァイオリンも16分音符の連続、歌も8分音符の連続で、浮き立つ箇所です。
モーツァルトは、ある意味「棒読み」のようなこの8分音符を用いることで、デスピーナとアルフォンソの劇中劇の面白さ(心ここにあらずな感じ)を表現しているように思います。
モーツァルトは毒という言葉に「tossico」と「tosco」も使えるということを知っていて、音楽を優先させたと考えられます。
まとめ
何気ない変更ですが、そこを深掘りしてみると気づかされることがあります。
今回は、音楽的欲求からモーツァルトがダ・ポンテの台本を変更した例を見てみました。
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高橋健介 KENSUKE TAKAHASHI Official Website
ピアニスト 高橋健介の公式ウェブサイトです。埼玉県出身。大宮光陵高校音楽科ピアノ専攻卒業。東京藝術大学楽理科を首席で卒業。同大学大学院音楽研究科音楽学専攻修了。在学中、同声会賞、アカンサス音楽賞、大学院アカンサス音楽賞を受賞。日本声楽家協会講師、二期会研修所ピアニスト。