ダ・ポンテの愛人でフィオルディリージの初演歌手フェッラレーゼとは何者だったのか?【歌は上手いけど大根役者、ダ・ポンテの人生を狂わせた女】

オペラ

昨日、以下のようなツイートをしたら、少なからず反響がありました。

140字では説明しきれないので、このブログで深堀りします。

彼女が何者だったかを一言で言ってしまうと、歌は上手いけど大根役者のフィオルディリージ初演歌手で、ダ・ポンテの愛人でありながら、ダ・ポンテの人生を狂わせた女」です。

長いかな… 笑

アドリアーナ・フェッラレーゼ(1759-1803以降)

名前について

舞台では「アドリアーナ・フェッラレーゼ Adriana Ferrarese」として活動しました。芸名だったのではないかとのことです。

ニューグローヴには、「Ferrarese [Ferraresi, Ferrarese del Bene], Adriana [Andreanna, Andriana]」と記載されており細かい差異はありますが、一般的には「フェッラレーゼ」で通じます。

ルイージ・デル・ベーネと結婚して、「アドリアーナ・フランチェスカ・ガブリエーリ・デル・ベーネ Adriana Francesca Gabrieli del Bene」となります。

簡単な略歴

  • フェッラーラ出身
  • 1784年、ローマ教皇庁の執政官の息子でありヴェネツィアの貴族ルイージ・デル・ベーネと結婚
  • 1779年にヴェネツィア、トリエステで舞台
  • 1781年ボローニャ、1784年フィレンツェ、1787年ミラノで舞台
  • 1788年から1791年までウィーン宮廷劇場と出演契約を結ぶ

音域の広さ

『ウィーンについての報告』にはこう書かれました。

先の月曜日にイタリア人歌手アドリアーナ・フェッラレーゼが人気のオペラ《ディアーナの樹》のディアーナ役を演じた。そのなかのアリア数曲は彼女のために、とくに移調された。彼女は気の遠くなるような高音から驚くべき低音までも歌いこなす。音楽通はこのようなすばらしい歌手はウィーンでは前代未聞だと唸っている。

「彼女は気の遠くなるような高音から驚くべき低音までも歌いこなす」

これを聞いて、フィオルディリージのアリアがなぜあれほど音域が広く、跳躍も多く、難しいのかを納得できるでしょう。

初演歌手が、得意としたからです。

フィオルディリージのアリア

《コシ・ファン・トゥッテ》第14番 フィオルディリージのアリア〈Come scoglio〉終盤

《コシ・ファン・トゥッテ》第25番 フィオルディリージのアリア〈Per pietà, ben mio〉終盤

跳躍といい、細かい動きといい、歌うのは至難の技です。

スザンナの追加アリア

さらに驚くべきことに、彼女は他の歌手が初演した役を引き継ぐ時に、自らの声が最も効果的に聴こえるように、大幅な改訂や追加を求めました。

それが顕著にわかるのは、《フィガロの結婚》のスザンナ役を歌った時(1789年8月)です。

モーツァルトに自分用のアリアを求めました。

K.579《Un moto di gioia mi sento》

《フィガロの結婚》の第2幕の第13番〈Venite inginocchiatevi〉の替えのアリアです。

上から下行して低音まで行く音形が出てきいます。

《Un moto di gioia mi sento》終盤

録音も結構あります。とても可愛らしい曲です。

モーツァルトは、この曲がフェッラレーゼがちゃんと歌えるのか、1789年8月19日(?)付の手紙で心配しています。

フェッラレーゼのために作った小アリアは、彼女が素直に歌ってくれたら、みんなが喜ぶと思うけど、そう歌えるかなあ。 もちろん彼女は、とても気に入ったよう。 僕は彼女の家で食事をした。

フェッラレーゼが役柄を意識せずに、表面的効果(技巧的効果)だけを求めて歌ってしまう傾向があったことを示唆しています。

この曲は、代替用ではなく、第3幕の冒頭に挿入されたとする説もあります。
歌詞が、「着替えのアリア」には相応しくないのです(参考)。

K. 577 《Al desio, di chi t’adora》

《フィガロの結婚》の第4幕の第28番〈Deh vieni〉の替えのアリアです。

《Al desio, di chi t’adora》前半

  

テンポは遅め(Larghetto)と言えども、なんですか、このジェットコースターみたいな音形の流れは。

フェッラレーゼはこういうのを喜んだんですよね。
同時に、モーツァルトも彼女の技量のちょっと上を狙って、苦しむのを楽しんだと思います。笑


歌は上手いけれど…

彼女への評価は、歌は上手いけれど、演技がいまいちとか、輝きがないとか、そういう種のものでした。

ヨーゼフ2世「彼女は音楽をよくわかっているが、いくぶん醜い。」
パーク「快い声を持ち、良い趣味で歌うが、プリマ・ドンナとして輝いているわけではない
マウント=エジカム卿「プリマ・ブッファとしても「ぱっとしない」存在」
ダ・ポンテ「さして美貌に恵まれてもいない」「声は甘く、歌い方も新鮮で、驚くほど感動的だった。彼女はとくに愛らしいというわけではなく、素晴らしい役者でもなかった

彼女には、低い音では顎を落として、高い音では頭を後ろにやる(顎をあげる)というクセがありました。

必死に歌っていた彼女を、モーツァルトは面白がったのですね笑

「高い音と低い音を交互に歌わせることによって、歌手にニワトリの頭のような動きをさせて、自ら指揮しながらゲラゲラ笑っていたそう……。」

Come scoglioの裏の意味

《コシ・ファン・トゥッテ》第14番フィオルディリージのアリアは、「Come scoglio immoto resta」(岩のように動かず)と歌われます。

「岩のように堅固に貞操を守ります、恋人に一途です」という意味なのですが、モーツァルトとダ・ポンテは、皮肉を込めてこのアリアを作曲した可能があります。

それが、最初のツイートの通りなのですが、「岩のように動かない下手な役者」という皮肉ですね。

これは、モーツァルト研究者、森泰彦先生が仰っていたことです。

上記の通り、歌っている姿は醜かったようで、演技も不得意でした。
ダ・ポンテとモーツァルトのことなので、このような皮肉は全然あり得ることです。

文献からは見つけられなかったのですが、世界的なモーツァルト研究者とも親交があった先生なので、そういうところでこのような話が出たのかもしれません。

ダ・ポンテとの関係

ダ・ポンテの愛人

ダ・ポンテは、『回想録』の中で、この頃の自分の愛人だったことを告白しています。
彼女は結婚しています。

ダ・ポンテがウィーンでの職を奪われるのと同時期に、彼女もウィーンを追われ、ダ・ポンテと共に1791年6月にトリエステに旅立ちますが、その後すぐ別れます。

ダ・ポンテは、彼女をめぐる黒い噂が広がり、友人も減り、新しい皇帝にも避けられるようになってしまいます。

国王を怒らせたエピソード

そのうちの1つのエピソードです。

ウィーンに駐在したナポリ大使が、レオポルト二世に捧げるためのカンタータをダ・ポンテが作詞しました。

ナポリ大使は大変満足して、金一封を送ったのですが、ダ・ポンテはその額に満足せず、使いの者にそのままあげてしまいます。
その時ににいただいた金時計も、フェッラレーゼに送ってしまったのです

それを知ったナポリ大使は、深く傷つきます。
この非礼な行為にレオポルト二世も激怒します。

結局、宮廷劇場の職も失い、ウィーンからも追放されることになってしまうのです。

ダ・ポンテがフェッラレーゼについて語った言葉

ダ・ポンテの『回想録』からの引用です。

私にふりかかった不幸は、さして美貌に恵まれてもいない1人の女性歌手が、最初にその歌で私を楽しませ、私にとても好意のあるそぶりをし、ついには私を籠絡してしまったことである。実際、彼女にはとても良いところがあった。声は甘く、歌い方も新鮮で、驚くほど感動的だった。彼女はとくに愛らしいというわけではなく、素晴らしい役者でもなかったが、最高に美しい二つの目と可愛い口を持っていた。

フェッラレーゼに振り回されてしまったようです。
「美し目と、可愛い口」には、天才台本作家も敵わなかったようです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

フィオルディリージのアリアがなぜあんなに難しいのか、謎が解けたと思います。

スザンナの替えのアリアは、多くの歌い手さんが滅多に見ることのないベーレンライター版のヴォーカルスコアの1番後ろのページに載っています。

ぜひ伴奏するので歌ってください(生で聴いてみたいです)笑

参考文献

Bruce alan brown “Mozart: Cosi Fan Tutte (Cambridge Opera Handbooks) 

Patricia Lewy Gidwitz”Mozart’s Fiordiligi: Adriana Ferrarese del Bene”

水谷 彰良『プリマ・ドンナの歴史 II 』