【公開】Kotoba to Oto Vol. 1 プログラムノート
Kotoba to Oto Vol. 1 を迎えて
2020年上半期、世界中で大きな舞台がなくなっていく中、音楽ブログ“Kotoba to Oto”を開設しました。60記事以上となった頃、文字だけではなく生の音に繋げたいという思いが高まりました。そしてこの度、コンサート「Kotoba to Oto Vol. 1」を心強い仲間たちと共に開催することができました。
【第1部】はMCもなしで30分ほどハイネとシューマンの「Kotoba to Oto(言葉と音)」の世界に浸っていただき、【第2部】はMCも交え、声楽曲の器楽編曲を含んだ「(from)Kotoba to Oto(言葉から音へ)」の世界を楽しんでいただきたいと思います。そしてこのコンサート自体は、人前で演奏できなかった期間に書き始めたブログ(Kotoba)が、ようやくコンサート(Oto)へと動き出した「(from)Kotoba to Oto(ブログからコンサートへ)」でもあります。楽しんでいただけましたら幸いです。
【第1部】「Kotoba to Oto(言葉と音)」
シューマン:《詩人の恋》 作品48
全部で16の小曲からなる曲集です。タイトルの通り「詩人の恋の物語」なのですが、ハッピーエンドになりません(ドイツ・リートの大半は失恋ソングと言っても過言ではないでしょう)。ドイツでは5月になると、それまでの数ヶ月ずっと天気が悪く雲に覆われた日々が一転、心地の良い日々が続きます。日本で言えば桜の開花のようなイメージでしょうか。そんな季節に、詩人は恋をするのです。しばらく恋の喜びを歌いますが、7曲目で詩人は失恋します。そのあと、彼女の(他の男との)婚礼の音楽が聞えてきたり、死を意識するようになったりして、詩人の心は破綻していきます。ですが、最後はそのような悲しみや痛みはの気持ちは昇華されていくのです。結局、詩人は彼女のことを愛しているからです。
シューマンの歌曲、特に《詩人の恋》に特徴的なのは、ピアノの役割が大きいということです。歌が終わってから、あたかもピアノソロのように後奏が続きます。シューマンが生きた当時は、「言葉がないが故に、器楽は声楽よりも優れたもの」という考えがありました。「ドレミ」という旋律に「嬉しさ」という歌詞が付いていたら、その範囲内でしか音楽を考えられません。しかし、「ドレミ」という旋律に歌詞が付いていなかったら、「嬉しさ」でも「喜び」でも「悲しみ」でも「痛み」でも無限に解釈できます。そんなことから器楽は、言葉では到達できない領域に達することができると考えられていたのです。ピアノが内容を語っている背景には、そのような歴史もあります。
私と《詩人の恋》の出会いは高校生の時の音楽室です。声楽出身で担任の先生でもあり、音楽史を教えてくださっていた先生が、ヴンダーリッヒの《詩人の恋》のCDをかけてくれたのです。その時の衝撃は今でも覚えています。基本的に音楽史の授業は居眠りしていた私ですが、この前奏とヴンダーリッヒの歌声で目が覚めたわけです。この世にこんなに美しい音楽はあったのかと。自分が初めて弾いたのはそのだいぶ後、修士課程も修了した後の2018年になります。これからも大切にしていきたい曲集です。
【第2部】「Kotoba to Oto(言葉から音へ)」
バーンスタイン :《キャンディード》 序曲
作曲家、指揮者、ピアニスト、また教育者として多方面で活躍したバースタインのミュージカル《キャンディード》の序曲です。バースタインの愛弟子だった佐渡裕さんが『題名のない音楽会』で司会を務めていた時(2008年4月~2015年9月)のテーマ曲でした。2008年は私が高校2年生の時で、よく見ていました。昨年はバーンスタインのミュージカル《オン・ザ・タウン》の公演で佐渡さん指揮のもと稽古ピアノをやりました(高校生の時はまさか一緒に仕事をすることになるとは思ってもいませんでした!)。
サラサーテ:序奏とタランテラ 作品43
サラサーテは19世紀後半に活躍したスペインのヴァイオリニストで、《ツィゴイネルワイゼン》などの後世に残るヴァイオリン作品も多く残しました。タランテラとはナポリの舞曲で、毒グモ「タランチュラ」に噛まれたら毒を排出するために踊り続けたことに由来するという説もあります。この曲は、本日共演する榎本くんと2010年に演奏しており、なんとその映像が残っていました。今回、サポートチケットを買ってくださった方(終演後に受付に伝えていただいても変更できます)には、特典映像として、我々の10年前の映像も送らせていただきます。
ドヴォルザーク:《スラヴ舞曲集》より 作品72-2 、作品46-5
ドヴォルザークは19世紀後半に活躍したチェコの作曲家です。シューマンはブラームスの才能を見出しましたが、ブラームスはドヴォルザークの才能を見出しました。管弦楽編曲でも親しまれている曲集ですが、先に連弾用が作られました。《第2集》から憂愁と感傷の漂う曲と、《第1集》から明るく陽気な曲をお届けします。
クライスラー:ドヴォルザークの主題によるスラヴ幻想曲
この曲の前半のゆっくりな部分の原曲は、ドヴォルザークの有名な歌曲《我が母の教えたまいし歌》の主題です。「母が私にこの歌を教えてくれた昔、 母はいつも涙を浮かべていた。今は私がこの歌を子供に教える時となり、 私の目からも涙が溢れる。」といった素敵な内容の歌曲です。クライスラーは20世紀に活躍したウィーン出身のヴァイオリニストで、ヴァイオリンの名曲もたくさん書いています。
ブラームス(ハイフェッツ編):メロディのように 作品105-1
ブラームスの歌曲は、よくヴァイオリンやチェロでも演奏されます。この曲もヴァイオリニストの巨匠ハイフェッツが編曲しました。グロートが書いた詩は、「愛する想いはメロディのように心にそっとよぎる。それを言葉で書こうとすると、消えていってしまう。それでも詩行にはその香りが残るのだ。」といった内容です。ブログを書いていても思うのですが、やはり言葉には限界があります。それでも確かに言葉にするからこそ伝えられることもあり、そこには私の想いが少なからず反映されているのだと思います。
バッハ(高橋編):《神の時こそいと良き時》BWV106より第1曲〈ソナティナータ〉
バッハ(高橋編):《楽しき狩こそわが悦び》BWV208より第9曲 アリア〈羊は安らかに草を食み〉
どちらもバッハのカンタータを連弾用に編曲したものです。1曲目は教会カンタータの器楽曲の編曲で、死者の浄福を描いています。2曲目は世俗カンタータのソプラノのアリアで、「良い牧人がいれば羊は安らかに草を食べるし、統治者が優れていればその地も平和である」といった内容です。どちらも器楽編曲でもよく演奏される曲です。
クライスラー:愛の悲しみ
クライスラーは自分が作曲した曲を、「古典的手稿譜」という名で出版して、自分が作ったことをしばらく隠していたのです。この《愛の悲しみ》も、対照的に扱われる《愛の喜び》もそのうちの1曲です。ワルツが流行る前に盛んだったレントラーという3拍子で、古き良きウィーンを追憶しているかのような音楽です。
モンティ:チャールダーシュ
マンドリンのために書かれた曲ですが、今では色々な楽器のために編曲されて親しまれています。チャールダーシュはハンガリーの民族舞曲で、19世紀にウィーンでも流行しました。オペレッタにもよく出てきます。後半の超絶技巧は聴きどころです。