アグネス・チョウ(周庭)と欅坂46《不協和音》とモンテヴェルディ

思考・日常(音楽)

アグネス・チョウが保釈

香港の民主派政党「デモシスト」の元メンバーで、日本でも親しまれていたアグネス・チョウさんが、国家安全維持法違反の容疑で逮捕されましたが、翌日あたりに釈放されました。

日本のSNS上でも、「#Free Agnes」などのハッシュタグが使われて、人々が国家安全維持法に対する意義を唱えました。

とりあえず保釈されたものの、これから取り調べなどがあるようで安心はできません。

理不尽な統制は許されるべきことではありません。

頭の中に流れていた《不協和音》

アグネスさんは、拘束されている時、欅坂46のヒット曲《不協和音》の歌詞を頭に浮かべていたそうです。

拘束されている時にずっと『不協和音』という日本語の歌の歌詞が、頭の中に浮かんでいました。

作詞は秋元康さんです。
自分の信念を貫き、抵抗する強い意志を歌っています。

以下、歌詞の抜粋です。

僕はYesと言わない
絶対沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける

不協和音で 既成概念を壊せ
みんな揃って 同じ意見だけではおかしいだろう
意思を貫け!ここで主張を曲げたら生きてる価値はない
欺きたいなら 僕を抹殺してから行け!

アグネスさんを拘束中に励ましたのは、これらの言葉の力でしょう。
そして言葉の力に加えて、音楽があったからこそ心に響いたのだと思います。

言葉がある故に《第九》は人々の心を掴んできましたし、お祈りは歌われることでグレゴリオ聖歌となり、西洋音楽の基盤を作りました。

モンテヴェルディ

「不協和音で 既成概念を壊せ」と聞くと、真っ先にモンテヴェルディが浮かんでしまいます。

アルトゥージとモンテヴェルディの論争

アルトゥージはモンテヴェルディを批判しました。
なぜなら従来の対位法の規則から逸脱する不協和音を使ったからです。

批判に反論するため、《マドリガーレ集第五巻》(1605 年)の序文で、「第二作法 seconda pratica」という言葉が使われました。

「第二作法」は、モンテヴェルディ兄弟が自分たちの音楽を正当化するための用語でした。

音楽史で学ぶときは、「歌詞の情感を表現するためにザルリーノの対位法の規則を逸脱して、より不協和音を柔軟に使うこと」といったような意味で学びます。

時代を変えていく人たち

モンテヴェルディの言葉です。

普通のものを書いて〔=作曲して〕大いに賞賛されるよりもむしろ、今までにないものを書いてあまり賞賛されないことに満足しようとしている。

でも結果的に、後世に残っているのはモンテヴェルディです。
称賛されたのもモンテヴェルディです。

アルトゥージを知っているのは音楽史を勉強した人くらいです。

昨日の記事「商売人ではなく表現者になるためには【作品と商品の違い by西野亮廣】」でも書いたように、最終的には勝つのは偏愛やエゴかもしれません。

音楽史を変えてきたのも、既存の概念に縛られず、新しいことをやった人たちです。
そこでは必ず論争なり、反抗なり、ブーイングなりが起こります。

でもいつの間にか、それが時代のスタンダードになるものです。

本当は、モンテヴェルディの前にも、既成概念を壊してバロック時代の基礎となるような作曲をした人たちは多くいます。

デ・ローレをはじめとして、ヴェルトやマレンツィオ、そしてジェズアルドなどのマドリガーレ作曲家たちです。

当時、斬新な響きでした。

まとめ

既成概念を壊そうとする人は、いつの時代も叩かれるものなのでしょうか。

とにかく、アグネス・チョウさんが今後も無事であることを祈ります。

大愛崇晴『著作としての『第二の作法』はなぜ書かれなかったか――モンテヴェルディとその同時代における作曲上の規則と独創性――』

NEWS:「アートにエールを!」が公開されました↓

https://youtu.be/E5rXlHADemg