音楽について語るときに村上春樹の語ることば【シューベルトのピアノソナタ】

言説

あのユジャ・ワンも愛読 !?

村上春樹さんは、説明するまでもないですが、世界的な作家です。
日本よりも海外で人気と言えるでしょう。

音楽家の中にも、愛読している人は多いようです。
例えばピアニストのユジャ・ワンも、愛読しています。

音楽愛好家としての村上春樹


そして、熱烈な音楽愛好家で、ロック、ジャズ、クラシックと精通していることも有名です。

最近は自身がDJを務めるラジオ番組もやっていて、音楽を語るときの村上春樹は本当に楽しそうです。

クラシックについては、小澤征爾との対談本が有名です。
あの小澤征爾さんもこのように言っています。

音楽好きの友人はたくさん居るけれど、春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている。クラシックもジャズもだ。(中略)ぼくが知らないこともたくさん知っているので、びっくりする。

村上春樹「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社)より「あとがきです」

それだけ音楽のことを知っているので、小説にもよく音楽が登場します。
また、音楽に関する本も多く出ています。

今回はその中から少し紹介します。

シューベルト「ピアノソナタ 第17番」二長調 D850 —ソフトな混沌の今日性

「意味がなければスイングはない」(文春文庫)には、音楽に関しての評論に近いようなエッセイが複数載っています。

その中に、シューベルトについてのエッセイがあります。

そもそもシューベルトの《ピアノソナタ17番》と言われて、パッと楽節が浮かぶ人は、ピアニストの中でも少ないかもしれません。

そんなマニアックな曲を選ぶあたりが、村上春樹らしいです。

第1楽章の冒頭

このソナタはこんな風に始まります。

村上春樹が好きなアンスネスの演奏↓

堂々と始まったかと思いきや、すぐに3連符のユニゾンになり、おまけにシにはフラットが付いて短調に変わります。

村上春樹に言わせると、

第一楽章からして、威勢よく始まりはするものの、何かごたごたしていてつかみにくい。おもしろい額装はいろいろあるのだが、いろいろ往ったり来たりして、結局どこに行きたいのか、と問いただしたくなる。

「ごたごたしていてつかみにくい」と全部ひらがなにして、シューベルトのこの冒頭の、読みにくさというか、分かりにくさを表現しているかのようです。

エッセイの冒頭

このエッセイはこんな風に始まります。

いったいフランツ・シューベルトはどのような目的を胸に秘めて、かなり長大な、ものによってはいくぶん意味の汲み取りにくい、そしてあまり努力が報われそうにない一群のピアノ・ソナタを書いたのだろう? どうしてそんな面倒なものを作曲することに、短い人生の貴重な時間を費やさなくてはならなかったのか? 僕はシューベルトのソナタのレコードをターンテーブルに載せながら、ときどき考え込んだものだった。

確かにシューベルトは「歌曲王」と呼ばれるほど、素晴らしい歌曲をたくさん残しました。
ピアノ曲についても、《楽興の時》や《即興曲》などの小曲の方が一般的に好まれます。

それに比べて、ピアノソナタは、よく弾かれる曲が数曲ありますが、全部のソナタを聴いたことのある人はほとんどいないのではないでしょうか。

村上春樹も最初は、そんなシューベルトがピアノソナタを書くことにどんな目的があったのか疑問だったようです。

ですがある時、「彼は心に溜まってくるものを、ただ自然に、個人的な柄杓ひしゃくで汲み出していただけなのだ」と腑に落ちたようです。

音楽を語る時の比喩

村上春樹は比喩の名手でもあります。
シューベルトが作曲する時の頭の中を、こう想像しています。

メロディーや和音は、アルプス山系の小川の雪解け水のように、さらさらと彼の頭に浮かんできた。

こういう時によく、「天から降ってきた」とか言いますが、村上春樹は「アルプス山系の小川の雪解け水のように」と、他のどこにもないような表現を使っています。

次の文も読んでみてください。

(前略)結局のところ、シューベルトのピアノ・ソナタの持つ「冗長さ」や「まとまりのなさ」や「はた迷惑さ」が、今の僕の心に馴染むからかもしれない。そこにはベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタにはない、こころの自由なばらけ・・・のようなものがある。スピーカーの前に座り、目を閉じて音楽を聴いていると、そこにある世界の内側に向かって自然に、個人的に、足を踏み入れていくことができる。音を素手ですくい上げて、そこから自分なりの音楽的情景を、気の向くままに描いていける。そのような、いわば融通無碍ゆうずうむげな世界が、そこにはあるのだ

「こころの自由なばらけ」、「音を素手ですくい上げて」、「融通無碍(ゆうずうむげ)な世界」など、多彩な文章で表現しています。

次の文は、吉田秀和の「精神の力」という言葉を引用して、シューベルトのこのソナタの非構築性と魅力を語っています。
瑕疵かしを補ってあまりある、奥深い精神の率直なほとばしり」、「パイプの漏水のようにあちこちで勝手に漏水」、「世界の『裏を叩きまくる』」などに注目です。

心の中からほとばしり出る「精神的な力」がそのまま音楽になったような曲 ─── まさにそのとおりだ。このニ長調のソナタはたしかに、一般的な意味合いでの名曲ではない。構築は甘いし、全体の意味が見えにくいし、とりとめなく長すぎる。しかしそこには、そのような瑕疵かしを補ってあまりある、奥深い精神の率直なほとばしりがある。そのほとばしりが、作者にもうまく統御できないまま、パイプの漏水のようにあちこちで勝手に漏水し、ソナタというシステムの統合性を崩してしまっているわけだ。しかし逆説的に言えば、二長調のソナタはまさにそのような身も世もない崩れ方・・・によって、世界の「裏を叩きまくる」ような、独自の普遍性を獲得しているような気がする。

まとめ

  • 音楽について語るときに村上春樹が語ることばは、語彙力ひとつとっても格別
  • 村上春樹は玄人以上に音楽を知っているので、説得力もある

その他にも紹介したいことは山ほどあるので、また村上春樹ネタは投下すると思います。

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