詩人と作曲家の考えは必ずしも同じではない【ハイネは苦しんでいるけどシューマンは楽しんでいる】

楽曲解説 歌曲

作曲家は歌曲を作るときに、詩からインスピレーションを得ます。

当然、詩人が考えたように作曲家が受け取って音をつけることもありますが、そうでない場合もあります。

あえて違う解釈をしたり、間違った解釈をすることで、名作が生まれることもあります。

シューマンのハイネのテキストの受け取り方にも、色々なパターンがあります。

ハイネは苦しんでいるけどシューマンは楽しんでいる(by リチャード・ミラー)

先日、以下のようなツイートをしました。

ハイネは苦しんでいるけどシューマンは楽しんでいる。
Heine suffers; Schumann enjoys! 

こちらの言葉は、リチャード・ミラー のSinging Schumann: An Interpretive Guide for Performersに書いてありました。
残念ながら邦訳はまだ出ていないようです。

リチャード・ミラー Richard Miller 

ミラーは声楽教育の分野で有名な人です。

その分野では日本語訳のある本も出ています。
声楽家の皆様は、手にとったことがあるのではないでしょうか。

《リーダークライス Liederkreis》op.24-1を例に

シューマンはこの曲集が完成した時、クララへの手紙でこのように書いています。

この曲を作曲している間、僕は君のことばかり考えていました。君という婚約者がいなかったら、このような音楽は書けなかったことでしょう。

このような幸せな状況下で、「若き悩み Junge Leiden」と題された詩群から、愛に苦しむ若者の情感が謳われたテキストをシューマンは選んだのですね。

第1曲《朝起きて、自らに問う Morgens steh ich auf und frage》

朝の目覚めとともに、愛する人が来るかと期待しますが、結局来ません。

対訳

朝起きて、自らに問う
素敵な恋人は今日来るだろうかと
夕方、私は伏せて嘆く
彼女は今日も来なかったと

夜は、苦しみながら
眠ることもなく、目は冴えたまま
日中は、半ば眠っているかのように夢見心地で
あてもなく歩くのだ

(拙訳)

楽譜

ミラーの言葉

ミラーの本から、この曲の解説の引用です。

ハイネは毎朝、愛する人に会えるかどうかを心配して目を覚まし、毎晩、彼女に会えないことを嘆いている。彼は悲しみの中で眠れずに目を覚ましている。短調に変えることで、シューマンはこの詩人の物憂げな気持ちに部分的に反応しているのかもしれないが、ほとんど陽気なままである。(中略)シューマンにとってこの詩は、憂鬱ではなく愛の表現である。つまり昼も夜も恋人のことを幸せに考えているのである。ハイネは苦しんでいるが、シューマンは楽しんでいる。作曲家は魅力的なリートを書き、ハイネよりもはるかに希望に満ちている。(拙訳)

ミラーの解釈は以下のようにまとめられます。

  • ハイネ…苦しんでいる、憂鬱の表現、物憂げ
  • シューマン…楽しんでいる、愛の表現、希望

聴き手や演奏家の受け取り方次第

私もこの曲を初めて聴いたとき、悲しい曲には聴こえませんでした。
それこそ、短調になるところに少し悲しみを感じるくらいでしょうか。

人によっては、後奏の3小節なども悲しみ切なさに聴こえるかもしれません。
私はどちらかというと、「憧れ」に聴こえます。

恋する人を手にしたいという「憧れ」です。

例えばこちらの演奏は、短調の部分で悲しみを感じるかと思います。
フィッシャー=ディースカウと小林道夫先生によるライブ録音です。

こちらの記事でもライナーノーツを紹介しました。

まとめ

歌曲の解釈は、オペラなどに比べてもより自由なところに面白みを感じます。

詩人が書いたテキストを作曲家がどう感じるかも自由なのですから。

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