音楽は同じ「空間」で人と「共有」するからこそやりがいがある
先日、自粛が徐々に解除されたことで、久々に現場で仕事をしました。
指揮者とピアニスト(自分)で、オペラの伴奏のみの撮影でした。
明らかにここ2ヶ月使っていない身体を使った感覚がありました。それが何だったのか考えてみました。
家で1人で弾く場合との違い
家で1人で弾いているのと何が違ったのかというと、
- 同じ空間に人がいるということ
- 音楽を共有するということ
そもそもコロナの前までは、当たり前のように日々行っていたこと。
でも当たり前が当たり前ではなくなった状況で、このようなことに気づかされました。
同じ空間に人がいること
基本的に、練習は1人です。
演奏家は舞台上では華やかに見えますが、費やす時間のほとんどは1人での孤独な練習です。
最近は、動画撮影の時に、見てくれる人を「想定」して弾くことはあっても、実際そこにはいませんでした。
今回の現場では、同じ空間に自分と指揮者がいました。
部屋の空間はもちろんのこと、指揮者との間にも特別な空間がありました。
もしお客さんがいれば、その間にも空間が生まれます。
音楽を共有するということ
では、同じ空間にいることで、何が起こったのか。
そこに、音楽の共有があったのです。
ここ2ヶ月、生での音の共有はほとんどありませんでした。
ほとんどが、オンラインを通じた共有でした。
1000人のお客さんがいれば、その分だけ音楽の共有が生まれる。
60人のオーケストラであれば、奏者それぞれと指揮者の間でも共有が生まれる。
まとめ
音楽は同じ「空間」で人と「共有」するからこそやりがいがある
という、言ってみれば当たり前のことに気づかされました。
もちろん、オンライン上で共有は、同じ空間と言えるのか?
という問題もあると思います。
それについてもまた考えてみたいと思います。
それでは。
高橋健介 KENSUKE TAKAHASHI Official Website
ピアニスト 高橋健介の公式ウェブサイトです。埼玉県出身。大宮光陵高校音楽科ピアノ専攻卒業。東京藝術大学楽理科を首席で卒業。同大学大学院音楽研究科音楽学専攻修了。在学中、同声会賞、アカンサス音楽賞、大学院アカンサス音楽賞を受賞。日本声楽家協会講師、二期会研修所ピアニスト。