音楽家もアスリート!?【為末大「統計で行けば例外のような世界が、トップアスリートの世界」(『Winning Alone』より)】

練習 言説

「統計で行けば例外のような世界が、トップアスリートの世界だ。」

「侍ハードラー」「走る哲学者」などの愛称がある為末大(1978-)さんの言葉です。

音楽の世界でも、巨匠たちはみな「例外的」と言って良いでしょう。

為末大さんの言葉には、経験を言語化した説得力があります。

為末大『Winning Alone(ウィニング・アローン)自己理解のパフォーマンス論』

為末大さん

説明するまでもないかとは思いますが、少しまとめます。

  • スプリント種目の世界大会で、日本人として初めてメダルを獲得。
  • 2000年から2008年にかけてシドニー、アテネ、北京のオリンピックに連続出場。
  • 男子400メートルハードルの日本記録保持者(2020年4月現在)。
  • 2012年現役引退。現在、Sports × Technologyにかかわるプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表を務める一方、コメンテイターとしてメディアでも活躍中。

本も書いており、『諦める力』は、ベストセラーにもなっています。

為末大『Winning Alone(ウィニング・アローン) 自己理解のパフォーマンス論』

帯「頂点を目指す道は孤独である。この本を『言葉の伴走者』にしてほしい」

帯にあった言葉です。本書のタイトル”Winning Alone”の通りですね。

為末さんは、本書で「自らの幼少期から引退までの全競技人生を通じて掴んだことを言語化するということ」を試みています。

―世界の頂点を目指す過程では、「効くかどうかわからないがやる」「誰もやっていないけどやる」といった挑戦が増えてくる。

それを私自身がどうやって試行錯誤したか。失敗したことや後悔していることを含めて全部正直に書いてみようと思った―

目次の抜粋

本書は、アスリートにとって必要なことが満載です。
ほんの一部だけ抜粋すると、以下のような事柄です。

  • 指導者のタイプについて
  • イメージトレーニング
  • コントロールできないもの
  • 練習時間について
  • ゾーンについて
  • 科学的思考

など。

音楽家もよくアスリートと比較されます。
上のようなことは、全く同じように音楽家にとっても問題となる事柄ですね。

今回はその中でも、「科学的思考」の項を取り上げてみます。

「科学的思考」

科学的思考について

「競技者には科学的思考が必要だ。」に始まります。

為末選手(やはり「さん」だと違和感あるので…)にとって、科学的思考とは以下の通りです。

科学的思考=ものごとを説明しきろうとする姿勢

「なぜウォーミングアップをするのか。」
これらを調べて、仮説を立てて、説明を試みること。

声楽家だったら、なぜ発声をするのか。
ピアニストならなぜハノンをするのか。
そもそも必要はあるのか。

どちらが正しいと言ったことではなく、自分の言葉で説明できる必要があると説きます。

科学的思考の行き詰まり

ある程度のレベルまでは、科学的に正しいトレーニングによって筋道が立てられます。
ところが、それ以上になると話は変わってきます。

上のレベルに行くと(中略)、N数が足りないので、統計的にこうだと言えることが少なくなってくる。

例えば、日本の9秒台の選手3人の共通項を見出すことは難しいそうです。
理由は、それぞれタイプが違いすぎるから。

統計で行けば例外のような世界が、トップアスリートの世界だ。

ということです。

音楽家でも同じ !?

たしかに巨匠たちの演奏を見たり聴いたりしても、みんな違います。
例えばピアニスト。

グールドの椅子の低さも異常だし、ポゴレリチの演奏は風変わりだし、ホロヴィッツの指の動きは普通は真似できません。

研究者と競技者の違い

研究者と競技者の一番の違いは、何が科学的に正しいのかを追求するか、何が機能するのかを追求するか、だ。

研究者と競技者の違いについて、わかりやすくまとめられています。

  • 研究者:何が科学的に正しいのかを追求する
  • 競技者:何が機能するのかを追求する

研究者気質

研究者としてのバックグラウンドを持っている選手は、速く走りたいという思いと、自分の理論を証明したい、理解したいという思いの両方を持っていることが多い。

為末選手は、自分は研究者気質だったのでよくわかると言っています。

私自身も、「楽理科」というところを出て演奏している身なので、周りから見たら研究者気質となるでしょう。
音楽の研究者は、作品や演奏が理論的にどう凄いのかを、言葉や分析で解明しようとします。

一方、演奏家はどうすれば効果的な演奏になるのを追求します。
競技者と同じです。

競技者はあくまで競技の場で結果を出すことが仕事だから、自分の体が速く走れなければいくら正しい理論にたどり着いても意味がない。

演奏家にとっては、音楽理論がどれだけわかっても、良い演奏をしないことには意味がありません(耳に痛い…)。

理想は、両方の人格がいること

お互いからみた視点は以下のようになると言っています。

  • 研究者タイプから見た競技者タイプ:思い込みやすく拙速
  • 競技者タイプから見た研究者タイプ:検討が多く優柔不断

理想は、このどちらも自分の中にあることです。

実際の競技の現場はこの間にあって、理想は一人の選手の中に両方の人格がいて、適時それぞれの考え方が出てくるやり方だろう。

まとめ

世界で活躍した選手だからこそ、そして「走る哲学者」だからこそ、説得力のある言葉でした。

本書は音楽家のための「自己管理本」としても読めますので、演奏家のみなさま、特に実践的な行為を言語化したい方にはおすすめです。

為末選手の「言語化された」経験を聞くのが、今後も楽しみですね。