指導言語のアウトプットとインプット(為末大学の動画から)【「起きている現象そのままを描写するもの」と「そのようなことを意識しながら動いた方が結果的に良くなるもの」】
為末大さんは、「走る哲学者」と呼ばれる元陸上選手です。
先日も記事を書きました。
今回は、「為末大学」の動画から、面白いものを見つけたので紹介します。
教える際、または教えてもらう際に、「アウトプットされたものを描写したもの」と「インプットするときの意識を話したもの」を意識して使いわけろ、ということです。
音楽の指導の現場でも同じことが起こっています。
質問と答え
こちらの動画です。
為末の主張「地面を真下に踏め、踏んだら前に進むから。」
質問者「でも、真下に踏んで、なぜ前に進むのか。指導が間違っているのでは?」
答え↓
為末「実際、若干前方に踏んでるので、起こし回転を起こして進んでいっている。厳密にいうと真下に踏んでいるわけではない。」
この質問に関しての動画です。
以下でまとめます。
アウトプットとインプット
スポーツでの現場で話されていることは、大きく分けると2つあると言います。
- 起きている現象そのままを描写するもの
- そのようなことを意識しながら動いた方が結果的に良くなるもの
言い換えれば、こういうことです。
- アウトプットされたものを描写したもの
- インプットするときの意識を話したもの
この2つを混在させないことが重要。
そして、指導者側も選手側もこれをクリアにしておくべきと説きます。
・アウトプットされたものを描写したもの(起きている現象そのままを描写するもの)→それそのものを描写している ・インプットするときの意識を話したもの(そのようなことを意識しながら動いた方が結果的に良くなるもの)→どのような意識でやれば理想に近づくのかを述べたもの
この2つは大きく違うということです。
アウトプットとインプットの混在問題
「真下に踏め」というのをアウトプットされたものを描写したものとして認識してしまうと、本当に真下に踏んでしまい、バランスが取れなくなって、走れなくなってしまします。
真下に踏むような意識でやると、結果的に良い意識を引き出し、良い走りができるのです。
描写(アウトプット)だけにこだわる人の問題
人間は描写だけではインプットはできません。
「やや前方に着地しながら、起こし回転を起こして移動してくれ」と言っても、ほとんどの人は再現できないのです。
それを、「真下に踏め」と言うことで、上のような動作を導き出せるのですね。
言葉の変換、翻訳
- アウトプットされたものを描写したもの=やや前方に着地しながら、起こし回転を起こして移動してくれ
- インプットするときの意識を話したもの=真下に踏め
インプットの際の言葉は、他にも「下にある卵をつぶせ」「鏡餅の柔らかいところを踏むように」なども使えるということです。
指導者は、その子がやってきた人生は何かを考えて言葉を伝える必要があると説きます。
生徒側は、この先生がこの言葉を使うときは、こういう意味合いだという翻訳ができれば良いけれど、難しいです。
音楽で例える
例えば、歌の先生(私はピアノ)に「もっと広い空間を意識して」「もっと表現を大げさに」と言われたことがあります。
これは先生がインプットするときの意識を話したものですね。
私はそれを意識しつつも、アウトプットする時にどうすれば良いのかも考えました。
例えば、もっとクリアにタッチをするとか、姿勢をよくして、楽譜から目を離して遠くを見ながら弾く、とか。
アウトプットの方も意識する。
為末が言うように、アウトプットだけに頼るのはダメですが、インプットの方法を知った上でアウトプットも考えることは大事だと思います。
そのようなことを意識しながら動いた方が結果的に良くなるもの:「もっと広い空間を意識して」「もっと表現を大げさに」 ↓ アウトプットされたものを描写したもの:「クリアにタッチ、姿勢をよくして、楽譜から目を離して遠くを見ながら弾く」
どちらも必要です。
声楽の場合
特に声楽の指導の場合、インプットするときの意識を話したもので指導することが多いですよね。
それは自分自身が楽器だから、自分がインプットしたときの感覚が大事なのだと思います。
声楽でアウトプットされたものを描写したものとしては、立ち方とか、お腹の動き方とかでしょうか。
見たり触ればわかります。
ピアノの場合
ピアノだったら、手の形や姿勢はアウトプットされたものです。
「歌うように弾いて」というのは、インプットするときの意識を話したものですね。
人によって違う?
ここからは私の見解です。
インプットが得意な人と、インプットを知りつつもアウトプットも求めてしまう人に分かれるような気がします。
私は後者タイプです。
「広い空間を意識して」と言われて、意識して良くなるものの、何が変わったのだろう?と考えてしまいます。
インプットが得意な人は、「広い空間を意識して」と言われたらパッと変われて、維持できるのですよね。
感覚タイプと論理タイプと言っても良いかもしれません。
しかし、為末が言うように、アウトプットされたものの描写だけでは動けないということです。
いずれにしても、これら2つの違いを認識することが大切です。
まとめ
このように考えたことはなかったので、面白い動画でした。
ほぼ全ての音楽家が、指導する側や指導される側を経験するわけですので、頭に入れておいた方が良い、書きました。
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「統計で行けば例外のような世界が、トップアスリートの世界だ。」「侍ハードラー」「走る哲学者」などの愛称がある為末大(1978-)さんの言葉です。音楽の世界でも、巨匠たちはみな「例外的」と言って良いでしょう。為末大さんの言葉には、経験を言語化した説得力があります。
高橋健介 KENSUKE TAKAHASHI Official Website
ピアニスト 高橋健介の公式ウェブサイトです。埼玉県出身。大宮光陵高校音楽科ピアノ専攻卒業。東京藝術大学楽理科を首席で卒業。同大学大学院音楽研究科音楽学専攻修了。在学中、同声会賞、アカンサス音楽賞、大学院アカンサス音楽賞を受賞。日本声楽家協会講師、二期会研修所ピアニスト。