指揮者カザルスの譜読みの手順【分析→歌→ピアノ→やっとチェロ→指揮】

練習 音楽家

このブログでは、過去にも2回ほどチェリストのカザルスについて書きました。

カザルスの言葉①
カザルスの言葉②【テクニックは手段】(ジェラルド・ムーアの警鐘)

今回はカザルスが指揮をする時に、どのように譜読みをしたかについてです。

指揮者としてのカザルス(1876-1973)

カザルスの情報は、このサイトに細かくまとまっています。

「名匠列伝 パブロ・カザルス」

私が付け加えられることはないのですが、重要な部分を引用します。

指揮者としてのキャリア

指揮者としてのデビューはかなり早く、1908年2月に3回にわたってコンセール・ラムルー管弦楽団の演奏会に指揮者兼ソリストとして登場します。

1920年には当地でパウ・カザルス管弦楽団を組織して、本格的な指揮活動を開始しました。

1922年から、有名なオーケストラで客演で指揮もするようになります。
ただ、指揮の技術的なことは未熟で、不評だったりしました。

BBC響;「棒がわかりません。ちょっとチェロで見本を演奏してくれませんか。」

ロンドン響;「彼のテンポは独奏の時には完璧だったが、指揮棒を持つと立往生してしまうようだった。」

ウィーン・フィル;「彼が何を指揮するつもりか、私は知らないよ。我々は『田園交響曲』を演奏するつもりだがね。」

どこまで本当かはわかりませんですが、なかなかの皮肉ですね。

晩年は、ルドルフ・ゼルキン主宰のマールボロ音楽祭で指揮もするようになります。

リハーサル風景

1967年、マールボロ音楽祭で指揮したときのリハーサルの風景です。

モーツァルトの《ハフナー》を振っています。
動画の最初だけではなく、11:54くらいからも指揮の映像ですが、特に後半はほとんど棒は振ってませんね。

上記の各オケの発言もわかる気がします。

指揮者ではない人の指揮で演奏する場合

私も、色々な方の指揮で弾くことがありますが、もともと指揮者ではない方の指揮で演奏する場合は、「その人の音楽を知っているかどうか」がとても重要のように思います。

例えば、もとはピアニストだったら、その人のピアノを知っているか。
もとは声楽家だったら、その人の歌を知っているか。

カザルスの場合は、彼のチェロを知っていれば、よくわかる指揮だったのではないかと推測します。

チェロの指導

10:03から室内楽のレッスンでチェロも教えています。

よく歌ってますね。
個人的には、歌のディミヌエンドの仕方がすごく綺麗だと思いました。

おまけ

ちなみに、7:27くらいから、ゼルキンがピアノを弾いているシューベルト《鱒》の1楽章が見れますが、これまたすごい。

あたかも指揮者のように、ピアノで音楽を引っ張っているのがよくわかります。

カザルスの譜読みの手順

さて、本題です。

『カザルス―バッハ没後250記念 』 (KAWADE夢ムック)の中の、伊藤乾「指揮者カザルス 音楽の基底を組み替えるとき」からの引用です。

譜読みの手順

  1. まず音楽の全体を良く眺め、重要そうな声部がどのように分布しているのか、楽譜の内容の理解につとめる。
  2. 次にそれら主要な声部を声に出して歌ってみて、アーティキュレーションなどを掴もうとする。
  3. それらを踏まえて心の中に歌をもって、全体像をピアノで幾度も弾いてみる。
  4. ここまできて、初めてカザルスは自分の楽器、つまりチェロを手にする。
  5. そういうあらゆる段階を経て、彼は指揮台に登る。

ポイント

  • まずは楽譜の内容の理解。

いわゆる、「分析」「読譜」ですね。
これはやはり初めにやるべきことでしょう。

  • 次に、チェリストだから旋律を弾くのかと思いきや、歌う。

アーティキュレーションを掴むためには、やはり歌ですね。
器楽だと、どうしてもその楽器の技術的な制約内の表現になってしまいがちです。

  • 次は、やっとチェロが来るかと思いきや、今度はピアノです。

カザルスはピアノも良く弾けた人です。毎朝バッハをピアノで弾いていたとのこと。

「実際に響きを鳴らしてみることが極めて重要で、そこで気がつくことがたくさんある」と言っていたようです。
全体像を掴むには、やはりピアノは「便利」です。

アプローチの仕方

マールボロ音楽祭のサイトには以下のように書いてあります。

カザルスは交響曲のレパートリーを、まるで室内楽であるかのようにアプローチしました。

チェリストであるが故のアプローチとも言えるかもしれません。

まとめ

チェリストであるカザルスの、指揮者としての読譜法を見てきました。

やはり、実際に歌ってみることの重要性を感じます。

カザルスが指揮をした録音も多く残っています。
好みは分かれると思いますが、一つのアプローチの仕方として興味深いです。